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思考実験

5月のオセロの大会は、京都OPに出るのと、
名人戦も朝起きれたら出ようと思います。


さて、突然ですが、「オセロの対人練習」について
最近考えてみたいとこと、というか考えていることがあります。

ちょっと極端な想定ですが、次のような2人のプレイヤーがいるとしましょう。
A:ひたすら最善手を打ち続けることに決めていて、自分からは変化を絶対にしないプレイヤー
B:Aとは逆に、どこかで必ず変化をすることに決めていているプレイヤー

なお、ここでの「変化」とは、「意図的に最善進行から外れたマイナスの手を打つこと」を意味します。
「マイナス」とは、ゼブラやエダックスのBOOKによって判断されるもの、としておきましょう。

さて、AとBがオセロの練習をするとしましょう。
練習の内容は、AとBによる連戦、つまりAとBで繰り返し対戦をすることです。

当然、二人は設定上、Aさんはひたすら同じ手を打ち続け、Bさんはひたすらどこかで変化をし続けます。
で、Aさんは試合が終わるたびにソフトでBさんの変化をチェックして、
その対策を覚えていきます。
それを何度も何度も、ひたすら続けていくと、Bさんは次第にAさんに勝てなくなっていきます。
(もちろん、人間の記憶力には限界があるので現実にはなかなかそう簡単にAさんの勝率は
 上がっていかないのですが、ここではそういう話はとりあえず抜きに考えて下さい。)

さて、もうちょっと条件を現実に近づけてみましょう。
Aが黒、Bが白を持っているとします。
で、黒が「引き分け勝ち」であるとします。
となると、黒のAさんはひたすら引き分け進行を打ち続けます。
(この場合、もし仮にAが白の場合、Aはもう少し難しい立場になります。
 なぜなら最善手を打ち続けて引き分けになってしまうと、負けになってしまうからです。
 が、とりあえずそのことは後に回すとして。)

この条件で連戦を続けていくと、ひたすら引き分け進行を打ち続ける黒のAに対して、
Bは次第に変化のネタ切れを起こしていき、やはり次第に勝てなくなります。

それに対して、設定上「変化」方針のBは、以下のように振舞うのが最も理に適うことになります。
「Aと練習し続けても、Aにはだんだん勝てなくなるだけだ。
 だから完全に変化がネタ切れになる前に、Aと練習するのはもうやめる。」
しかし、AにとってはBとの練習は非常に有益であったため――なぜなら、Bとの練習によってどんどん変化を潰すことができるから――、AはBとの練習を続けたい、と言い出したとしましょう。

さて、ここからが問題です。
果たしてAとBは双方にとってメリットがある形で練習を続けることができるでしょうか?
AとBが交渉を始めた、というシチュエーションでいくつか処方箋を考えてみましょう。

まず、AがBに以下のような提案をするとします。
「色を交互にしよう。すると、白の時は私は引き分け負けになるから、
 Bが最善手を打ち続けたなら、私が引き分け負けをし続けるか、私から変化せざるをえない。
 これで平等じゃないか?」

これは非常に賢明な提案で、Bが融通の利く人間であればその提案に乗るかもしれません。
しかし、これはあくまでも思考実験。
Bはあくまでも「変化派」という設定でした。
そしてBがその設定に忠実であろうとするなら、以下のように切り返すでしょう。

「いやいや、私は変化派だから、同じ引き分け進行ばかり打ち続けるのはつまらない。
 あくまでも変化をする。
 そしたら、私が白のときと同じように、結局連戦をするたびにAに勝てなくなっていくじゃないか。
 だからその条件でも練習はできない」

これに対して、今度はBが次のような提案をするとします。
「あ、そうだ、Aも私と同じように変化してくれよ。
 そうしたらどっちかが有利になるということはなく、ずっと練習を続けられるんじゃないか?」

しかし、Aはあくまでも「最善派」という設定であり、Aがその設定に忠実であろうとするなら
次のように提案を一蹴するでしょう。
「いやいや、私は最善派だ。実際に、この方針を続けるのが練習では最善策なのに、
 (※論理上はだんだん勝てるようになっていくはずだから)
 なぜ自分からわざわざ変化をしないといけないのか。何のメリットもない」


そして結局、AとBの交渉は決裂し、練習は続けられなくなりました。



・・・となるかどうかは、皆様のお知恵を拝借したいところなのですが、
僕の頭の中では今のところここまでです。

さて、なぜこの思考実験を書いたかというと(もちろん完全にフィクションではないんですけどね)、
この問題は単にAとBの二者関係の話には留まるものではなくて、
オセロというゲームの今後を考えていくうえで重要だと思うからです。

少し、問題の所在を整理してみましょう。
まず、結論から言うとAは非常に一貫した基準でもってオセロについて考えていることになり、
それに対してBは実は二つの基準を話に持ち込んでしまっています。

Aの方針は、基本的に「最善手を打ち続ける」ことのみです。
そしてこの方針は、ボードゲームにおける「勝利」と基本的には直結しています。
(「引き分け勝ち」をどう考えるかがちょっとややこしいですが、ここでは置いておくとして)

それに対して、Bの方針は「手の多様性(つまりできるだけ色んな手を打つこと)の重視」なのですが、
この方針は、ボードゲームにおける最終的な「勝利」とは必ずしも直結しないことは、
これまで確認してきた通りです。
それにもかかわらず、Bは「勝利」にもこだわっているので、
Aとの練習をこれ以上続けることができなくなった、というわけですね。

さて、そんな「わがまま」なBなんてほっとけばいい、と思われるかもしれませんが、
問題はそう単純ではありません。
さっきのAとBの話に限定すれば、AがAの最善オセロを完璧にしていくためには、
(たぶん)Bとの練習が不可欠だからです。
さらにいえば、
ここからは僕の私見も入りますが、オセロの「人間vs人間」の発展の歴史は、
大雑把に言ってしまえばAとBの対戦の繰り返しによって紡がれてきたはずです。
つまり、「手の多様性」と「勝利」の両方を追求する非合理的なBの態度もまた、
オセロ界にとっては重要な要素であったはずなんですよね。

よって、AとBの練習が行われないことは色々とよろしくない気がするのですが、
どちらかがどちらの方針を曲げない限り、
両者の練習は心地よく行われないということは思考実験の通りでした。
つまり、両者が比較的自然な発想でもって利己的に振舞うと、
自然な流れでAもBもダブルノックダウンになりかねない、ということです。


さて、現実のオセロ界の話に戻りましょう。
現実的には、まだAグループはBグループの変化にすべて対応できるようなレベルには達していない
と思われるので、まだまだBグループがAグループとの練習を拒否するような事態が表面化していませんし、
今後もすることはないかもしれません。
しかも、ここまであからさまに「勝利」に執着するような「B」はもしかしたら僕ぐらいかもしれません。
「勝利」に執着しない限り、BはAのトレーニングに快く付き合ってくれることでしょう。

じゃー現実には何の問題も起こってないじゃん、と思われるかもしれませんが、
僕はそうでもないと思います。
たとえば、近年メジャー大会では棋譜集を作るための棋譜がなかなか集まらないそうです。
これに関して、棋譜を出すプレイヤーが少なくなった理由が、自分の棋譜を研究されたくないから、
だとしたらどうでしょうか。
この場合、棋譜をソフトで解析されて困るのは間違いなく「わがまま」なBです。
つまり、BがAに情報を渡すのを拒んでいるという点で、
これまでのAとBの思考実験と同じ構図を共有しているわけですね。
これによって、オセロプレイヤーが共有すべき財産である「棋譜集」が作らなくなっているとしたら、
そのような事態をどう考えるべきでしょうか。
そして、それは単にBの「わがまま」のせいであると言い切ってしまうべきでしょうか。

(※ Aが必ず変化をしなければならない「引き分け勝ち」の制度はその意味では優れた制度です。
   が、これは「解析が繰り返されるうちにどちらか一方の色(たぶん白)が不利になる」
   ということをわざわざ規定しているという点で、
   むしろ「AとBの練習」における対立の原因の一つにもなっているといえます。
   もし引き分けを単に引き分けとして処理するのであれば、
   そもそもAの練習方針は必ずしも最効率的であるともいえなくなってくるので
   (最終到達地点が勝利ではなく引き分けになってしまうから)、
   良くも悪くもまたちょっと違った話の展開になってくるはずです。)
  

僕の感覚では、棋譜集の話はまだまだほんの一例に過ぎないような気がしなくもないのです。
まとめると、ここ10数年ぐらいのオセロ界でよく言われてはいるけど、感情論に先走りがちで
必ずしもちゃんと考えられてない問題、
――つまり「暗記オセロ」や「ソフトによる解析」や「変化か最善か」等々の話の根っこにある共通の問題を、
「AとBの練習」の話は分かりやすく示してくれてるのではないでしょうか。
思考実験のようにAとBの共倒れを避けるために、
オセロというゲームをいかに捉えていくべきであるのかを、
(特に高段者たちは)ちょっと考えてみてもいいんじゃないかな、と思ったり思わなかったりするわけです。

おわり。







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最善派とか変化派とか引き分け勝ちとかの話の前にまず、本気で打った棋譜(定石)がばれればばれるほど不利になるという点が問題かと思います。
これは最善手が調べれば容易にわかるというオセロの性質上しかたないことでしょう。
つまり本気の試合をすればするほど(そしてその棋譜が広く公開されるほど)研究されるリスクが高まって「序盤に関しては」不利になります。
ですが、本気で試合をすることによるメリットはないでしょうか?
強くなる人の大半は大会に多く参加して本気の試合を多くこなしているように見えます。
つまりそれだけ棋力向上の効果が期待できるということです。
そのメリットを無視して序盤を研究されるデメリットばかりを取り上げるのはもう棋力向上を諦めている人の発想ではないでしょうか。
棋力が最強すぎてもう理論上これより強くなることはありませんみたいな状態ならまだしも、現実には練習をこなして強くなろうとするのが賢明ではないですか?

非常に面白く読みました。

あんまり難しい話は分からないですが、
オセロの終末期のような問題ですね。
ギリギリまで論じてしまえば、
このゲームの限界という結論になってしまうか
とも思います。

もちろん、競技オセロのトップレベルの話だとは
思いますけど。

選手が勝敗にこだわっていけば、
棋譜を他者に見られるのは、A派B派問わず
得ではないですからね。
A派にしても、その定石を選択した理由
(知識がない相手が間違いやすいなど)が
あるかもしれないですからね。
勝敗主体で考えれば、棋譜提出が少なくなるのは
自然の成り行きと思います。

ゲーム自体が本来、勝敗を競うものなので、
そこにそれ以外の目的や価値観を入れるのは、
どうしてもある種の感情論になってしまうと思います。

A派にしても、B派にしても、自分の環境で勝つための
(あるいは自分にとってオセロを価値あるもの
にするための)最善と思って選択していると思います
のでね。

「オセロというゲームをいかに捉えていくべきであるのかを、(特に高段者たちは)ちょっと考えてみてもいいんじゃないかな」

それぞれで考えがあるから難しいですよね。
立場によっても違うでしょうし。
僕は僕でボンヤリとあるのでしょうが……
すりっぱさんのここの部分を、どこかの機会ででも聞いてみたいです。

りばーさんに概ね同意です。

「練習しないのが理にかなう」「棋譜を提出すると不利になる」
本当にそうでしょうか?
確かに後者は、棋譜ばれに関しては僕も若干損な気がしないでもないのですが、そう感じるのはそれこそ僕たちがまだまだ勉強不足だという証拠ではないでしょうか?

実名を出して恐縮ですが、村上先生のブログは良くご存知だと思います。僕が察するに彼はB側の打ち手だと思うのですが、彼は大会で打った棋譜を詳細な解説付きでブログに掲載していますよね。本記事の理屈ではこれはとんでもなく損な行為になります。

それでも先生は勝ちます。なぜ勝てるのでしょう?実力があるからです。ではなぜ実力があるのでしょう?きっと、彼には「練習すると不利になる」とか「棋譜を公開すると不利になる」とかそんなことは微塵も考えにないからではないでしょうか?ただ1人のプレイヤーとして一番良いと思った手を打ち続ける。この真摯な態度こそが彼を超一流のプレイヤーにしたのではないでしょうか?

この部分は特に九段の方達が共通して持ち合わせている感覚のように思います。きっと彼らの中で「解析するやつとは打つな」とか「勝つためには棋譜を提出するな」といったことを推奨する方は絶対にいないと思います。


僕たちはなぜオセロを続けるのでしょう?
「勝ちたいから」もちろんそうです。でももっと根底にあるのは「強くなりたい」という想いなのではないでしょうか?
強くなりたい、この気持ちがあるからこそ結果的に勝てるようになるのです。
強くなることを諦めて勝ちだけを追い求めるのはプレイヤーとしてあるべき姿ではないように思います(結果としても勝てないはずです)。

強くなりたい、本当の意味でそう願うプレイヤーがいる限り、オセロが終末を迎えることはないと思いますし、プレイヤーたちが共倒れになる未来も訪れることはないと思います。

>りばーさん
コメントありがとうございます。
伝わりにくかったようで申し訳ありませんが、
今回の話は練習方法を論じているわけではなくて、
変化派と最善派が打ち続けて、
それでもってお互いに棋力も最強状態になる、
つまり理論的に終末期を迎えたときに
どうなるか、さらにそこに向かう過程で
どのような事態が起こることが予測されるのか、
というニュアンスでした。
もちろん、我々はまだ棋力的にその域には達して
いないので、現実的に「強くなるための」練習方法
としてはりばーさんの仰る通りだと思います。
ただ、まだまだその域にオセロのレベルが達していない
とはいえ、その尻尾の部分がうっすらと
見え始めたのかな、というのが僕の個人的な印象です。

>松本さん
お久しぶりです、コメントありがとうございます。
僕が無駄に難解に分かりづらく書いてしまった話を、
分かりやすくまとめて下さり感謝です。

「ゲーム自体が本来、勝敗を競うものなので、
そこにそれ以外の目的や価値観を入れるのは、
どうしてもある種の感情論になってしまうと思います。」

その通りだと思います。
ぼく個人の意見としては、
やはりオセロの展開の多様性を大事にしたい、と
考えています。
ただ、純粋に勝利という目的のために対戦を
繰り返していくと、
本文で論じたとおりA派が最終的には最効率的に
なるはずなんですよね。
それはもう認めた上で、オセロゲームの多様性を
救い出すロジックを探し出すことが、
僕の現在の目標です。


>ますたーさん
コメントありがとうございます。
基本的なニュアンスはりばーさんのコメントと
同じであると読み取ったので、
こちらからの返事もりばーさんへの返事に準じます。

あとは、細かい点について少し。
棋譜バレが現状ではまだそこまで致命的に
思われないのは、
僕は逆に我々の棋力や研究が十分ではないから、
だと考えています。
人間のレベルが向上して、一度築いた優勢を
キープするのが上手くなればなるほど、
それだけ棋譜バレは致命的なものになってくると
思います。
ただ、棋譜の公開については他にも
様々な要素が加わってくると思うので、
一概に損得だけで語れるものでもないのですが。

あと、「強くなりたい気持ち」やその真摯な態度が
決定的に重要なのはもちろん僕も同意しますが、
言いたかったことはそのような
「強くなるためにはこうあるべき」という話ではなくて、
むしろ
「人がこれからもオセロを強くなろうとしたときに、
どういう方向に向かうのか?」
という問題です。
もちろん、ここでの「人」とは九段たちだけではなくて、
僕のような目先の勝敗のことしか考えられない
一般プレイヤーも含んでいます。
そして、そのときにもしゲームの展開の多様性が
失われたり、それを恐れてAとBの交流が
なくなったりすることが予測されるのであれば、
それについてどう考えるべきか、ということです。
また、機会があれば話しましょう。

人間はまだこの記事の域に達していないだけで、コンピュータ同士では既に起こったことですね。ソフトAとソフトBに置き換えると分かりやすい話かなと思いました。もはや、最強ソフトのレベルでは、ソフトAに対してソフトBが全く勝てないこと請け合いですよね。

>はせらさん
コメントありがとうございます。
おっしゃる通りだと思います。
より正確に言えば、
強いソフトのBOOKを学習させればさせるほど、
ソフト同士の対局でBOOKを変化させたときに
勝てる余地が無くなっていく、といった感じでしょうか。
まぁ、「そんなことはまずお前がソフト並に強くなってから
考えればいい」って周りからは言われそうですが(笑)

すごい発想と考えですね!こんなに細かく考える事が出来るなんて!

読みながらいくつか自分の思った事を書きます( ^_^)

棋譜バレに関しては、棋譜を何の為に見るか?という棋譜を見る側の意識によって棋譜の意味合いって変わってくると思うんですよね。

それこそ「◯◯君対策~!」目的で棋譜を見られるなら(要は相手がどんな形を打つか。)棋譜はなんだかすごく悲しいですよね!
対策目的で棋譜を欲しがる人には棋譜はあげたくないかも!

でも知らない手筋を知るためなどのあくまで勉強の為に棋譜を欲しがるならその一つの棋譜ってなんだか素敵ですよね。


だから練習相手の対策目的で打ったり棋譜を見たりする様な気持ちはオセロを続けていく上で私は持ちたくないな!

だってすりっぱさんの話しでも出た様に変化しても対策されての繰り返して、特定の人潰しみたいな感じになりえなくもないもん。


強くなるってことは特定の対戦相手を潰す事とはまた違うと思うし。


にしても、変化に対して全て最善て対応できるかなんですけど、
少し計算してみました。

1日って86400秒です
なので1年は365日として31536000秒です

寿命を100年として
3153600000秒です。

一秒で1手からから60手の一つの手筋を覚えたとして100年生きてやっとこさ31億です。

でも実際の手筋は億なんて単位の数なんかじゃないです。

だから対策されても大丈夫!!だと思っていたいですね!!

ソフトじゃなく人間なので~( ^_^)

>SHOKOさん
コメントありがとうございます。
「棋譜を見たり載せる意味合いは一つではない」
っていうのは棋譜の公開を考えるうえでは
ものすごく大事なことだと思います。
ただ「敵を知る」ことが兵法の基本である以上、
勝つために棋譜を解析して対策する人を
攻めることもできないと思うので、
難しいところですね。

手筋の数(?)も興味深いところです。
正直、「手筋」を覚えきるのは不可能で、
それゆえ「手筋」の習得度合がそのまま
オセロの強さだと僕は考えています。
(一番個人差がでるところです)
この強さの差を、ソフトで定石そのものを記憶してしまう
(いわゆる「暗記」と呼ばれている手法)で
どの程度カバーできるのかが問題になってくると
思うのですが、オセロは案外それができてしまう
かもしれない(!?) 
もちろん手筋と暗記を完全に分けることも
できないんですけどね。
プロフィール

すりっぱ

Author:すりっぱ
性別…♂
お住まい…京都
年齢…29
オセロ大会暦…11年
オセロの段位…六段

三大メジャー大会の最高成績
名人戦:3位
全日本選手権:4位
王座戦:準優勝
こう書くとあたかも強い人であるかのように
見える不思議
今年の目標はこの中のどれか一つを
更新することです。
…って書いとけばもうこのスペースを
毎年更新する必要もなさそうだ、と。

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