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名人戦2

おはようございます。
これから論文出しに行くので(郵送間に合わないので手持ちw)今日も簡易バージョンというか雑記。

よくよく考えてみると、
去年のくるさんも今年のすなさんも(敢えてヤフー名で)、
僕がヤフーオセロをはじめたころ(10年前ぐらい)から赤レートな方たちだったんですよね。
ヤフーでオセロを始めたころは、憧れの念だけで
くるさんの1分1秒追加やすなさんの1分持ちオセロを
観戦してたものです。

当時のオレンジ赤レートの人たちのほとんどは
もうオセロを辞めてしまったんだろうなぁと思うのですが、
彼らはこうして今でも自分の目標でいてくれることは本当に素晴らしいことだと思います。
同時期にヤフーオセロをはじめたor打ってた人で今でも続けてる人って
もうあまりいないので、
本当に心強い。
ヤフーオセロが無くなってからこういう昇段が続くあたり、なかなかオツな流れなんじゃないでしょうか。
すなさん、おめでとう!

さ、次はりばーさんの番かな。

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名人戦の感想(簡易版)

おはようございます。
ちょっと論文の締切が迫っていて時間がないので、
名人戦について簡単に感想だけ。

成績は、○○○○○××で9位でした。
トーナメント的にはちょうど2年ぶりにベスト4までいったことになりますね。

毎度毎度いいところまで行って負けるのは萎えますが
(りばーさんほどではないけど 笑)
まぁ自分がオセロの神様的なものに愛されていないことは知ってるのでさほど気にしなくなりました。
僕は愛されることよりも自分から好きであることを重視する人間なので。


それよりも、これで去年の不調から脱出したという確信を掴んだので、それが嬉しかったです。
今年はまだ二回メジャー大会があるので、良いゲームをたくさん残したいです。
(もちろん一回になるかもしれませんが…。)

試合に関しては7回戦とも集中して良いゲームができたので、
もしかしたら後日詳しく振り返ってみるかもしれません。
(K出さんとか頑張ってオセロの試合のこと書いてるしね!)

ではでは今日も一日頑張りましょう。


ブロック予選に関する提案

みなさんおはようございます。

本題に入る前にまずはお詫びですが、
またまた最近近畿・北陸オセロブロックのHPの更新が滞っておりますね。
データは先日受け取りましたので、
6月に入ったら直ちに更新させていただきます。
お待ちいただいている方がいらっしゃったら申し訳ござません。


さて、今回は取り急ぎいま話題になってる事柄についてごくごく簡単に書きたいことが。

話の経緯はK出さんのブログやこしあんさんのブログ、たなかとうかいさんのブログなどを
見ていただきたいと思うのですが、
北関東ブロックの振る舞いの是非についてはさておき、
とにもかくにもこの機会にブロック予選の今後のあり方について考えることは大切ですね。

まず個人的な考えを述べると、私は「ブロック予選は原則的に自ブロックから出るシステムに戻す」
案に賛成です。
この根拠についてはもちろん個人的な価値判断込みですが、他のこの案に対する賛成派が仰ってるように

・自ブロックから代表を決めるからこそ全国大会は面白い
 (ブロックごとのレベルの不均衡は、例えばスポーツの世界では当たり前にあること。オセロでも世界戦とかね。)

という点が大きいでしょうか。(他の根拠を思いつく時間がなかったので、詳しくは他のブログを参照)
もちろん、今回のような火種を消すためでもあります。

ただ、ここからが重要なことですが、もし仮にシステムを旧来の自ブロック代表制に戻すとしたら、
その前に
「なぜ数年前に他ブロックからも予選に出れるようにシステムを変えたのか」
を考えておく必要があります。

僕は理事会の議事録とかは追ったことがないので何も知らないのですが、
推測するに以下の二点が大きいのではないでしょうか。

・自ブロックの予選がたまたま仕事等で参加不可だと、全国大会への道も途絶える
・「所属ブロック」の定義が難しい。たとえば下宿している大学生は? 
 (実際に、現行システムになる前から年によって違うブロックから予選に出ている人もいた気がする。
  もちろんルールにのっとって。大学生は地元から出場でも可、みたいなのがありましたよね。)

さて、この二点が不満で、それを解決するために現行システムにしていたのだとしたら、
もし仮に自ブロック代表制に戻すことを考えるのであれば
この二点に対する解決策を織り込んでおくことが必要になると思います。
で、今回はその解決案について、個人的な考えを勝手に提案として書いておきたいなと。

まず、前者については、たしかに重要なことで、僕も予選の日と学会の日が被った時点で
全日本が即詰みになる(学会って土日にあるので)ので、予選の日が一日だけだとつらい派です。
まぁ個人的な事情はさておき、
自ブロック代表制に戻すにしても、予選と全国大会を両方やるという全日本の性質上、
予選のチャンスがその日だけっていうのはちょっと辛いと思うんですよね。

この点については、たとえば東京ブロックのように予選を二回に分けたり、日頃の大会成績をポイント化して
それを選出方法に織り込むといった方法が考えられるのですが、
この方法は東京ブロックのように頻繁に大会を開催することができない地方ブロックでは
キツイものがあると思います。
月に二回ブロック予選とか運営者の負担が半端ないですからね。
ポイントorレートで選ぶのも、日頃大会に出れないくらい忙しい人にとっては酷な話です。

そこで提案ですが、地区名人戦を全日本のブロック予選その1みたいな感じで
予選と兼ねるようにするのはどうでしょうか。
こうすれば、実質的にブロック予選を二大会に分けることができますし、
地区名人戦をやっていないブロックは存在していないので、負担も増えないと思います。
また、名人戦がオープン参加になって以来イマイチ盛り上がりに欠けるといわれる地区名人戦も
こうすれば盛り上がるんじゃないでしょうか。
例えば近畿・北陸ブロックを例に考えると、
地区名人戦上位3名、北陸ブロック予選上位1名、近畿ブロック予選上位4名 みたいな感じで代表を選びます。
反対意見があるとしたら、「名人戦と全日本は別の大会だから混ぜるべきではない」
みたいなのがあるのかもしれませんが、そこらへんはみなさまの価値観を聞いてみたいところです。

次に、「所属ブロック」の定義について。
これは基本的に現行の自己申告制度でいいんじゃないですかね。
事前に届け出ているブロック以外からは予選、地区名人戦には出てはいけない。
ただし、届出を出せばブロックは移動することができる。
で、たとえば下宿している大学生の場合、あらかじめ所属ブロックを
地元か下宿先か選んでおくという具合です。
(それだとたまたま地元に帰ってる時に困る、という意見があるかもしれませんが、そのための
 予選二回制(地区名人戦+ブロック予選)です。)

ただ、この場合問題になるのは、ブロック予選の直前になって意図的に所属ブロックの届け出変更願(?)を
出したり、東京に住んでるのに九州ブロック所属みたいな感じで自己申告してくる人でしょうか。
これに関しては、もう会員のモラルに任せればいいと僕は思うんですけどね…。
実際、自ブロック代表制が浸透した状態でそんなことをする人がいたら、
間違いなく白い目で見られると思いますし、大会結果にも載っちゃいますからね。
ちょっと甘いでしょうか。

というわけで後者についてはしっかり練る時間がなかったのでアレなのですが(笑)、
前者の地区名人戦と予選その1を兼ねる案は我ながら面白いと思うので、
どうでしょうかね。
毎度のことながら勝手なことばっかり書いて申し訳ありません。

ではでは今日も一日頑張りましょう。


追記:書いた後に気づいたのですが、代表枠が一名のブロックがもしあれば、
   予選を二回に分けることができなくなりますね…。
   うーん。

思考実験

5月のオセロの大会は、京都OPに出るのと、
名人戦も朝起きれたら出ようと思います。


さて、突然ですが、「オセロの対人練習」について
最近考えてみたいとこと、というか考えていることがあります。

ちょっと極端な想定ですが、次のような2人のプレイヤーがいるとしましょう。
A:ひたすら最善手を打ち続けることに決めていて、自分からは変化を絶対にしないプレイヤー
B:Aとは逆に、どこかで必ず変化をすることに決めていているプレイヤー

なお、ここでの「変化」とは、「意図的に最善進行から外れたマイナスの手を打つこと」を意味します。
「マイナス」とは、ゼブラやエダックスのBOOKによって判断されるもの、としておきましょう。

さて、AとBがオセロの練習をするとしましょう。
練習の内容は、AとBによる連戦、つまりAとBで繰り返し対戦をすることです。

当然、二人は設定上、Aさんはひたすら同じ手を打ち続け、Bさんはひたすらどこかで変化をし続けます。
で、Aさんは試合が終わるたびにソフトでBさんの変化をチェックして、
その対策を覚えていきます。
それを何度も何度も、ひたすら続けていくと、Bさんは次第にAさんに勝てなくなっていきます。
(もちろん、人間の記憶力には限界があるので現実にはなかなかそう簡単にAさんの勝率は
 上がっていかないのですが、ここではそういう話はとりあえず抜きに考えて下さい。)

さて、もうちょっと条件を現実に近づけてみましょう。
Aが黒、Bが白を持っているとします。
で、黒が「引き分け勝ち」であるとします。
となると、黒のAさんはひたすら引き分け進行を打ち続けます。
(この場合、もし仮にAが白の場合、Aはもう少し難しい立場になります。
 なぜなら最善手を打ち続けて引き分けになってしまうと、負けになってしまうからです。
 が、とりあえずそのことは後に回すとして。)

この条件で連戦を続けていくと、ひたすら引き分け進行を打ち続ける黒のAに対して、
Bは次第に変化のネタ切れを起こしていき、やはり次第に勝てなくなります。

それに対して、設定上「変化」方針のBは、以下のように振舞うのが最も理に適うことになります。
「Aと練習し続けても、Aにはだんだん勝てなくなるだけだ。
 だから完全に変化がネタ切れになる前に、Aと練習するのはもうやめる。」
しかし、AにとってはBとの練習は非常に有益であったため――なぜなら、Bとの練習によってどんどん変化を潰すことができるから――、AはBとの練習を続けたい、と言い出したとしましょう。

さて、ここからが問題です。
果たしてAとBは双方にとってメリットがある形で練習を続けることができるでしょうか?
AとBが交渉を始めた、というシチュエーションでいくつか処方箋を考えてみましょう。

まず、AがBに以下のような提案をするとします。
「色を交互にしよう。すると、白の時は私は引き分け負けになるから、
 Bが最善手を打ち続けたなら、私が引き分け負けをし続けるか、私から変化せざるをえない。
 これで平等じゃないか?」

これは非常に賢明な提案で、Bが融通の利く人間であればその提案に乗るかもしれません。
しかし、これはあくまでも思考実験。
Bはあくまでも「変化派」という設定でした。
そしてBがその設定に忠実であろうとするなら、以下のように切り返すでしょう。

「いやいや、私は変化派だから、同じ引き分け進行ばかり打ち続けるのはつまらない。
 あくまでも変化をする。
 そしたら、私が白のときと同じように、結局連戦をするたびにAに勝てなくなっていくじゃないか。
 だからその条件でも練習はできない」

これに対して、今度はBが次のような提案をするとします。
「あ、そうだ、Aも私と同じように変化してくれよ。
 そうしたらどっちかが有利になるということはなく、ずっと練習を続けられるんじゃないか?」

しかし、Aはあくまでも「最善派」という設定であり、Aがその設定に忠実であろうとするなら
次のように提案を一蹴するでしょう。
「いやいや、私は最善派だ。実際に、この方針を続けるのが練習では最善策なのに、
 (※論理上はだんだん勝てるようになっていくはずだから)
 なぜ自分からわざわざ変化をしないといけないのか。何のメリットもない」


そして結局、AとBの交渉は決裂し、練習は続けられなくなりました。



・・・となるかどうかは、皆様のお知恵を拝借したいところなのですが、
僕の頭の中では今のところここまでです。

さて、なぜこの思考実験を書いたかというと(もちろん完全にフィクションではないんですけどね)、
この問題は単にAとBの二者関係の話には留まるものではなくて、
オセロというゲームの今後を考えていくうえで重要だと思うからです。

少し、問題の所在を整理してみましょう。
まず、結論から言うとAは非常に一貫した基準でもってオセロについて考えていることになり、
それに対してBは実は二つの基準を話に持ち込んでしまっています。

Aの方針は、基本的に「最善手を打ち続ける」ことのみです。
そしてこの方針は、ボードゲームにおける「勝利」と基本的には直結しています。
(「引き分け勝ち」をどう考えるかがちょっとややこしいですが、ここでは置いておくとして)

それに対して、Bの方針は「手の多様性(つまりできるだけ色んな手を打つこと)の重視」なのですが、
この方針は、ボードゲームにおける最終的な「勝利」とは必ずしも直結しないことは、
これまで確認してきた通りです。
それにもかかわらず、Bは「勝利」にもこだわっているので、
Aとの練習をこれ以上続けることができなくなった、というわけですね。

さて、そんな「わがまま」なBなんてほっとけばいい、と思われるかもしれませんが、
問題はそう単純ではありません。
さっきのAとBの話に限定すれば、AがAの最善オセロを完璧にしていくためには、
(たぶん)Bとの練習が不可欠だからです。
さらにいえば、
ここからは僕の私見も入りますが、オセロの「人間vs人間」の発展の歴史は、
大雑把に言ってしまえばAとBの対戦の繰り返しによって紡がれてきたはずです。
つまり、「手の多様性」と「勝利」の両方を追求する非合理的なBの態度もまた、
オセロ界にとっては重要な要素であったはずなんですよね。

よって、AとBの練習が行われないことは色々とよろしくない気がするのですが、
どちらかがどちらの方針を曲げない限り、
両者の練習は心地よく行われないということは思考実験の通りでした。
つまり、両者が比較的自然な発想でもって利己的に振舞うと、
自然な流れでAもBもダブルノックダウンになりかねない、ということです。


さて、現実のオセロ界の話に戻りましょう。
現実的には、まだAグループはBグループの変化にすべて対応できるようなレベルには達していない
と思われるので、まだまだBグループがAグループとの練習を拒否するような事態が表面化していませんし、
今後もすることはないかもしれません。
しかも、ここまであからさまに「勝利」に執着するような「B」はもしかしたら僕ぐらいかもしれません。
「勝利」に執着しない限り、BはAのトレーニングに快く付き合ってくれることでしょう。

じゃー現実には何の問題も起こってないじゃん、と思われるかもしれませんが、
僕はそうでもないと思います。
たとえば、近年メジャー大会では棋譜集を作るための棋譜がなかなか集まらないそうです。
これに関して、棋譜を出すプレイヤーが少なくなった理由が、自分の棋譜を研究されたくないから、
だとしたらどうでしょうか。
この場合、棋譜をソフトで解析されて困るのは間違いなく「わがまま」なBです。
つまり、BがAに情報を渡すのを拒んでいるという点で、
これまでのAとBの思考実験と同じ構図を共有しているわけですね。
これによって、オセロプレイヤーが共有すべき財産である「棋譜集」が作らなくなっているとしたら、
そのような事態をどう考えるべきでしょうか。
そして、それは単にBの「わがまま」のせいであると言い切ってしまうべきでしょうか。

(※ Aが必ず変化をしなければならない「引き分け勝ち」の制度はその意味では優れた制度です。
   が、これは「解析が繰り返されるうちにどちらか一方の色(たぶん白)が不利になる」
   ということをわざわざ規定しているという点で、
   むしろ「AとBの練習」における対立の原因の一つにもなっているといえます。
   もし引き分けを単に引き分けとして処理するのであれば、
   そもそもAの練習方針は必ずしも最効率的であるともいえなくなってくるので
   (最終到達地点が勝利ではなく引き分けになってしまうから)、
   良くも悪くもまたちょっと違った話の展開になってくるはずです。)
  

僕の感覚では、棋譜集の話はまだまだほんの一例に過ぎないような気がしなくもないのです。
まとめると、ここ10数年ぐらいのオセロ界でよく言われてはいるけど、感情論に先走りがちで
必ずしもちゃんと考えられてない問題、
――つまり「暗記オセロ」や「ソフトによる解析」や「変化か最善か」等々の話の根っこにある共通の問題を、
「AとBの練習」の話は分かりやすく示してくれてるのではないでしょうか。
思考実験のようにAとBの共倒れを避けるために、
オセロというゲームをいかに捉えていくべきであるのかを、
(特に高段者たちは)ちょっと考えてみてもいいんじゃないかな、と思ったり思わなかったりするわけです。

おわり。







プロフィール

すりっぱ

Author:すりっぱ
性別…♂
お住まい…京都
年齢…29
オセロ大会暦…11年
オセロの段位…六段

三大メジャー大会の最高成績
名人戦:3位
全日本選手権:4位
王座戦:準優勝
こう書くとあたかも強い人であるかのように
見える不思議
今年の目標はこの中のどれか一つを
更新することです。
…って書いとけばもうこのスペースを
毎年更新する必要もなさそうだ、と。

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