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オセロ界の未来の話・番外編①  ――プロ化について

今週は腑抜けて色々とサボってしまいました。
(院の研究とかこのブログとかを…)

たくさんのコメントありがとうございます。
お返事はまた返事の回をちゃんと設けてしっかりとしたいと思います。

さて、前々から書く書くといっている「番外編」について、
今日から書きたいと思います。

何回に分けるか分かりませんが、今回は
おそらく「オセロ界の未来」を語る上で避けて通れない話、
オセロのプロ化について少し考えてみたいので、
丸々一回分を割こうと思います。



さて、いくつかのコメントでも指摘されたことなのですが、
オセロ界を盛り上げるにはプロ化(つまり、プロの制度を作る)をしなければならない、という
話をたびたび聞きますが、
結論から言うと僕は

① オセロというゲームの性質上、プロ化は(というかプロ化しても)難しい ですし、
② 「制度としての」プロは必要ない

と考えています。
順番に根拠を話します。


まず、①についてです。

古くからプロ制度がある囲碁・将棋とオセロの一つの大きな違いは、
棋譜に価値があるかどうか、です。

どういうことかというと、囲碁や将棋なら、強い人同士が対戦する棋譜は
それだけでアマチュアプレイヤーの見本になり、かつ
世間を沸かせる(?)ことになっていますが、
これはそのプロの人間たちが、特別に強いから可能なことです。

一方、オセロの場合、たしかにトッププレイヤーたちは特別に強いのですが、
それよりも更にずっと強いソフトがすでにたくさん存在します。
しかも、僕たちはその人間よりも遥かに強いソフトを、
無料で手に入れることができます。

このような人間とソフトの力関係にまつわる両者の違いは、
そのまま重要な帰結を生みます。

トッププレイヤーが特別に強い囲碁・将棋の場合は、
彼らの棋譜や思考自体がそのまま財産であるので、
彼らの戦いや戦術を描いた雑誌や戦術書も、
アマチュアたちにとって(対価を支払うに値する)価値を帯びることになります。
それらの棋譜や書物が、常人を超越したスペクタクルな世界を描くものとしての
魅力を有すると共に、最高の参考書にもなりえているわけです。

一方、オセロの場合は、すでに人間の棋力を大幅に超えたオセロソフトを
無料で簡単に手に入れることができる現状なので、
人間のトッププレイヤーの棋譜に、囲碁や将棋ほどの特別な価値が生じることは
ないと思われます。
オセロの勉強をしたいなら、ゼブラで解析した方が早いし、
いくら人間同士の対局がすごくても、ソフトに入れればどこが石損か分かってしまう
(人間の書く解説の価値の低下)
ので、スペクタクルな魅力も生じにくい。

(この点に関しては、プロ化されていないがゆえに人間の能力がソフトに追いついていないだけ
という反論があるかもしれませんが、僕の見立てでは、オセロにおけるソフトの人間に対する
優位はもはや明らかで、仮にプロ化してすさまじい棋力を有したプレイヤーが現れても、
それは「ソフトに限りなく近い打ち回しができる」までが人間の限界で、
ソフトなんていらない!と僕たちに思わせるような棋譜はできないと思われます。
つまり、どんなにすごい人間が現れても、その凄さすらソフトを基準にして測れてしまいそう、
ということですね。この人は、限りなくコンピューターに近い強さである、と言われて
アマチュアたちがそれを聞いて心を動かされるるかというと・・と思ってしまいます。)

このような条件下で制度としてのプロを作っても、
特別な価値を有する知的財産を産み出せないので、
メディアを通じた戦略を取りづらく、(試合をテレビ中継したり、書籍を出したり)
よってそこからたくさんのお金が生じるとは考えづらいのです。
(対価がなければ、制度としてのプロを支えるようなスポンサー等もつきにくいと思われますし、
最初はついてくれても、そのような実態が分かってしまえば、長持ちはしなさそうです。)

よって、オセロというゲームに、「制度としての」プロを作ってやっていくのは
現実的に難しく、僕としては気が進まないことなのです。


しかし、です。
僕たちは、世界選手権を観戦すればいつも盛り上がるし、
棋譜を鑑賞するのも楽しかったりします。このこともまた事実です。
でもそれは、世界選手権の棋譜がそれだけで思考的な財産になっている、というのとは
別の意味で僕たちにとって価値があるからだと僕は思うのです。

この点を踏まえた上で、②に続きます。


②「制度としての」プロは必要ない、これについての根拠を書きます。

なぜ僕らは、人間を超越したプレイヤー同士の戦いとは言えないオセロの棋譜を見て
心を動かされるのかというと、
(まだオセロを勉強しはじめて間もない方には、人間のトッププレイヤーの棋譜はすごいの一言かも
しれませんが、その凄さを自分でゼブラで「採点」できてしまうのもまた事実です。)
それは僕たちが共通のオセロ界に所属しているからであると思うのです。

つまり、トッププレイヤーであっても、彼らは機会があれば自分と大会で打ったり、
コミュニケーションを取れたりする存在であるので、ある意味近しい存在で、
その人たちが打っている棋譜からは、彼らの人間模様を連想したり、
この人には頑張って欲しい!という感覚をもてたりするから
(オセロプレイヤーである僕たちにとって)オセロの観戦は楽しいのではないか、
と僕は思うわけです。
これは、超人たちが超越的な技術をぶつけあい、それにただただ感心するという囲碁や将棋の
プロの試合とは、また違った魅力なのではないでしょうか。
それはむしろ、ブログ等のオセロ参戦記を読むのが楽しいのと近しい感覚であると思います。

でもそれは、オセロ界がせまいからこその魅力であって、
オセロ界がこれから大規模に発展していくなら、それはなくなってしまうべきものなのでは?
と思われるかもしれません。


ちょっと別の角度から話してみます。
競技としてのオセロの魅力は、
「頑張れば誰にでも世界チャンピオンになれる可能性がある!」ということです。
(ゲームの才能うんぬんの話は抜きにして考えます)
これは、発足当時にプロ化しなかったオセロならではの魅力というか、
新規参入者を募る上での大きなアピールポイントになりうると思うのです。
それに対して、プロとしての制度が確立している世界の場合、
アマチュアプレイヤーが日本のトッププレイヤーを目指すことは事実上不可能で、
それが可能であるかどうかはその人が育つ環境次第です。
(小さい頃から将棋に没頭でき、かつそのような組織に入れる環境であった、等々)

このような、トッププレイヤーに手が届きそう
(で届かなかったりするのですが、そのことはおいとくとして・・笑)
という感覚は、プレイヤーにとってオセロの棋譜鑑賞の楽しさに繋がっていると考えられます。
つまり、超人的で自分には考えられない世界に触れる楽しさ、というよりも、
もしかしたら自分もできるかもしれいないので、それを目指したくなるような楽しさ、ですね。

逆に言えば、こういうことです。
オセロの試合を観戦して楽しいのは、打ってる人も見てる人も原理的には同じ立場の
アマチュアであるから、なのではないでしょうか。

もし仮に「制度としての」プロを作り、
アマチュアプレイヤーとプロの境界を分けてしまうと、せっかくオセロがこれまで持っていた
競技としての魅力は半減してしまう気がします。
もっとも、プロ化した当初は、僕らにとっての知り合いがプロとして戦うわけなので同じ原理で
見ていて楽しいかもしれませんが、プロの組織化が進んでその条件が厳しくなる、
手の届かない存在になるにつれて、そのような競技オセロの楽しみ方は不可能になってくる
のではないでしょうか。

その一方で、①で述べた通り、超越的な思考を披露することによるプロのスペクタクルな魅力は、
人間の能力を超えたソフトがある以上、プロ化しても生じるとは考えにくい。


以上の点を踏まえると、長期的な視野でオセロ界の未来について考えてゆくとき、
「制度としての」プロ化はあまり重要ではないというか、むしろオセロにとってデメリットの方が大きいと
結論せざるをえないのです。
(従来の魅力を削いでしまう上に、新しい魅力を生み出さない、お金が回っていかない)


ということで、僕はこの前に長々と書いたように、
とりあえずアマチュア競技なままで、
オセロ界の競技人口の増加・盛り上げを考えてゆくべきなのでは
ないか、と考えています。
現状の、ある意味せまい組織であるがゆえの競技オセロの魅力を、
できるだけ残したままそれを活かして拡大してゆくことが、
囲碁や将棋など制度としてのプロが存在する競技とは一線を画す
別の道を行くことになるのではないでしょうか。
難しいことなのかもしれませんが、みんなでやってみんなで見る→楽しむ
というオセロの拡大の可能性に、個人的にはかけたい。


さて、これまで「制度としての」プロは必要ないと、書いてきました。
その意味を最後に説明したいと思います。
僕は、こんな形のプロならありなのではないか、と考えています。


そもそも、プロとは何を意味しているのでしょうか。
狭義では、制度化された組織に属することで、そこでプロとしての資格を貰って、
試合をすることでお金を貰う・・みたいな感じでしょうか。
しかし、もっと広い意味で捉えるなら、
それをすることで食っていける、それだけで稼いで行ける人なら、
それはプロであると言うことができるのではないでしょうか。
(よくテレビにでてくるプロ~選手とかプロ芸術家とかは、上の二つの2パターンに分かれます)

そして、僕が必要ないと思っているのは前者の「制度化された」プロの方で、
後者の方はむしろ全然アリというか、
オセロで食べていけるトッププレイヤーが数人現れてくるような状態が、
僕の考えているオセロ界の一つの完成形だったりします。

つまり、競技オセロが今よりずっと普及した世界では、
トッププレイヤーはその技術を色々なところで伝えたり、
それを仕事として個人的に出資してもらったりすることで、
さらには大会を主催したり全体の運営に携わることで、
オセロに関する活動のみで生計を立てていけるような状態になりうるかもしれない、ということです。

(正確な知識が無いので細かいことは言えないのですが、ごく一部の第一人者がそれで
食べていける、プロを名乗っているという分野はけっこうあるのではないでしょうか。)

「制度としての」プロはなくても、オセロに関してものすごく精を出したほんの一握りの人が、
オセロで食べていける状態、その意味でのプロが自然発生的に生まれることは、
他のプレイヤーにとっても名誉なことであるし、
それは「制度としての」プロのように、オセロのこれまでの魅力を削ぐようなものではないはずです。

よって、僕らが目指すべきは、少なくとも最初から「制度としての」プロを作ることではなくて、
そのように自然にプロが生まれるぐらい競技オセロを発展させることであって、
むしろ「制度としての」プロについて語るのは、その後な気が僕はしています。

もちろん、そのためには少なくとも今の10倍ぐらいの競技人口が必要な気がするので、
何を理想めいたことを、という指摘は避けることができなそうですが、
一応オセロ界の未来構想の一つということで、今回もお許し頂ければ、と思います。。


では、続きはまた次回に・・・









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プロフィール

すりっぱ

Author:すりっぱ
性別…♂
お住まい…京都
年齢…29
オセロ大会暦…11年
オセロの段位…六段

三大メジャー大会の最高成績
名人戦:3位
全日本選手権:4位
王座戦:準優勝
こう書くとあたかも強い人であるかのように
見える不思議
今年の目標はこの中のどれか一つを
更新することです。
…って書いとけばもうこのスペースを
毎年更新する必要もなさそうだ、と。

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